博物館での死体解剖イベント、中止となる!
埼玉県立自然の博物館(以下、博物館)で、2月8日(土)に、交通事故死した動物の死体を解剖するイベントが行われることが発覚しました。JAVAや多くの方からの抗議を受け、博物館は解剖の中止を決定しました。
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死体解剖イベントの内容とは
下記は、自然の博物館がホームページに掲載したこのイベントの告知です。
自然史講座
2月8日(土)
筋肉の作りを知ろう
【内容】動物の体の中をのぞいてみよう。動物を解剖して、筋肉のつき方や内臓の位置を学びます。
【時間】10:00~15:00
【場所】自然の博物館 科学教室
【対象】高校生以上
【定員】10名(定員を超えた場合は抽選)
【費用】200円
この告知を見たり、博物館に問い合わせたりした市民の方々から、JAVAには次のような情報や意見が寄せられました。
- いくら死体だといっても命があったものなのだから、切り刻むなんて良くない。
- 死体はモノじゃない。解剖をやめさせてほしい。
- 高校生にそんな体験をさせるとは非常識。
- 解剖の対象となる動物は、博物館が保管している交通事故死したタヌキやハクビシンの死体の予定。
- 筋肉の観察がメインになるので、ある程度、皮をはいでから見る。余裕があれば内臓の観察も行う。
- 10:00~15:00と長丁場になるのは、慣れていないとお腹にメスを入れて開くだけで午前中いっぱいかかる。あとは学芸員の解説なども1時間はかかるため。
- 冷凍庫から出すと、固まっていた血が解けるので血は結構出る。特に打ち所が悪くて出血していた場合。
- 臭いはかなりきつい。
死体の利用=殺した行為の容認
「死体の利用」であれば、その動物に痛み、苦しみ、恐怖を味わわせるといった問題はありませんが、その動物たちは寿命をまっとうしたのではなく、人間によって殺されたことをまず考えるべきです。
死体を解剖するということは、その前段階において、生き物を殺す行為(今回の場合は車で轢き殺す)が必ずや必要になるわけです。よって、「死体なら構わないだろう」と死体の解剖をするなら、生き物を殺す行為をも容認するもの、ということになるのです。
犠牲になる動物をなくす努力をしなくなる
野生動物たちが車に轢かれる大きな原因は、山を開発し道路を通したこと、つまり、野生動物たちの住処を人間が荒らしたことにあるわけで、その原因はすべて人間にあります。本来なら、どうやって犠牲になる動物をなくせるかを最優先に考え、対策に全力を講じるのが人間の責任です。
不幸にも人間のせいで死に至った動物を「有効利用」しようという考えは、殺したことへの罪悪感を薄めることにもなります。それは、国民の動物愛護意識や生命尊重の念を低下させ、ひいては事故の防止に全力を傾けようとしなくなります。これでは、野生動物の交通事故は永久になくすことができないばかりか、減少させることすらできません。
献体制度とは明らかに異なる
獣医学生の実習において、飼い主から提供を受けた動物の死体、つまり献体を利用する方法が欧米では多くの大学で採用されています。死体という点は同じでも、この献体は、「その動物が治療を施すことができず、そのまま生かしておくことの方が苦しむことになる重大な傷病を患い、獣医学的な判断と、心からその動物を思う飼い主による判断によって、苦痛のない方法で死に至った」、つまり、安楽死となった動物の遺体を飼い主の承諾のもと獣医学実習に利用しています。人間の献体システムとただ一つ違うのは、その動物の意思は確認できないので、飼い主がその代理をしている点です。
交通事故死した動物たちを解剖することは、こういった献体利用とは異なり、「どうせ処分するか、腐敗する死体を活用してやっている」「教材や剥製にすることで無駄にしないでやっている」といった感覚に陥り、死体をモノのように扱うことになり、参加者たちの生命軽視にもつながる恐れがあります。
解剖では命の大切さは学べない
「動物をモノや機械として扱うことはできない」のが人間としての倫理観です。死体だからと情け容赦なく切り刻むことなどできるものではなく、また安易にすべきではありません。ましてや、不幸にも人間によって殺された動物たちの死体を教材にするとは許されることではありません。
命の大切さは、命あるもの、命あったものを丁重に扱い、尊重してこそ学べるものであって、解剖して学べることではありません。しかも、高校生のような多感な時期の青少年が、博物館の指導で行われるイベントに参加したら、「動物の体を解剖するのはよいこと」という誤った認識を持ちかねません。
知識を身に付けさせるなら、代替法で
生き物の体の仕組みを学ぶ方法には、生体や死体を解剖する以外にも、コンピュータを使用した学習法、ビデオ、3Dの模型など様々あります。
コンピュータを使った代替法を使用すれば、解剖の過程を何回でも繰り返しでき、また一人一人が自分のペースで解剖を行うことができるというメリットがあります。博物館が、市民に動物の体の仕組みを学ばせ、知識を身に付けさせたいと真剣に考えるのならば、こういった代替法を用いるべきです。
JAVA、館長に中止を要請
JAVAでは、井上尚明館長に対し、死体の解剖の問題点を指摘し、次の事項を求めました。
- 2月8日に予定されている動物の解剖イベントを行わないこと
- 生体、死体を問わず、今後二度と、動物の解剖を市民に行わせないこと
- 学芸員であっても、生体の解剖は行わないこと
解剖の中止決定!!
後日、JAVAからの中止を求める要望書に対して、井上館長より、以下の文書回答がありました(一部抜粋)。
要望1につきましては、ご意見をいただき改めて内部で検討した結果、今回の事業では解剖は行わず、既存の博物館資料を使うなど、別の方法で動物に関する理解を深めることといたしました。
要望2につきましては、今後は、様々なご意見があることを踏まえ、解剖を目的とした講座ではなく、より総合的に生命の尊さや動物の体のしくみを学ぶことのできる事業を検討してまいります。
要望3につきましては、学芸員による動物の生体の解剖はこれまでも行っておらず、今後も実施の予定はありません。
世間では、「死体の解剖にまで反対するの?」「痛みや苦しみを感じないのだから、教材にして有効利用したほうがいいのでは?」といった意見もあります。しかし、JAVAは、ものを言わぬ動物たちの権利を守り、動物たちにやさしい社会にしていかなくてはならないと考えています。動物の命の尊厳を軽んじていては動物実験の廃止は実現できません。そういったことからも、「死体の解剖」についても動物たちがいかにして殺されたかを考え、そして、犠牲になる動物たちをなくすためにどうしたらよいかを最優先に考え、決して「有効利用」をすることを認めてはならないのです。