解剖実習を廃止すべき理由
<教育プロジェクト>
JAVAでは、これまで多くの学校等で行われている解剖実習の問題に取り組み、廃止させてきました。また、2015年4月に、日本のすべての小・中・高校での廃止実現のため、「学校から解剖実習をなくそう!キャンペーン」 を開始しました。
そこで改めて、JAVAがなぜ生きた動物はもちろんのこと、動物の死体や臓器の解剖実習に反対し、廃止すべきと考えているか、その理由を述べます。
解剖をやるもやらないも学校次第で、野放し状態
現在、小・中・高校(以下、学校)に対して解剖実習の実施は義務付けされていませんが、禁止もされていないことから、学習指導要領の「動物の体のつくり」「生殖・発生のしくみ」などの課題に対して、理科や生物の担当教師が安易に解剖を実施するケースが後を絶ちません。
文部科学省の「研究機関等における動物実験等の実施に関する基本指針」は学校を適用対象から除外しています。そのため、たとえば同じマウスの解剖でも、大学では実験計画書を作成して動物実験委員会の審査・承認を受ける必要があるのに対し、学校では理科や生物の教師の判断ひとつで実施でき、マウスを触ったこともない生徒が解剖を行っているのが現状です。つまり、日本において学校での解剖は野放しの状態になっているのです。
多くの生徒が解剖体験で傷つき、苦しんでいる
「かわいそう」「気持ち悪い」などの理由から、解剖実習を嫌がる生徒は多数おり、これまでJAVAにはそういった生徒やその保護者から、「解剖をやりたくない」「死体はモノじゃない。解剖をやめさせてほしい」「体験して辛かった」「二度と解剖を実施しないように学校に働きかけてほしい」などの声が数多く寄せられています。生徒たちは「やりたくない」と思っても、「成績に影響したら困る」「先生に嫌われたら学校に行けなくなる」などといった不安から、解剖実習が嫌でも言い出せない場合がほとんどです。嫌な気持ちを押し殺して参加し、深く傷ついているのです。
動物虐待と凶悪犯罪には深い関連性がある
「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下、動物愛護法)は、平成11年に初めての改正がなされましたが、この改正法が早期制定に至った背景には、頻発する青少年による凶悪事件があります。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤元死刑囚、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇と名乗ったA少年、さらには、佐賀のバスジャック事件の犯人とされる少年などが殺人事件を犯すその前段階において、小動物の虐待を行っていたという事実が判明したからです。最近では長崎県佐世保市で同級生を殺害した女子高生が、その前段階において繰り返し猫などの動物を解剖し、人間の解剖にも興味を持っていたことが判明しました。また、川崎市における中学1年生殺人事件の被疑者の少年も猫やハトを虐待していたと報じられています。
解剖は、生徒の精神に悪影響を与える
動物虐待と青少年犯罪の深い関連性が指摘され、また、教育の名のもとで生き物を殺したり、その死体を粗末に扱うことが青少年の精神面にいかに大きなダメージと悪影響を与えるかが明らかになってきた昨今、学校での解剖実習に対しても批判は高まってきています。
カナダ・レイクヘッド大学のジャン・オークリー博士は、著書(*1)の中で、「解剖の目的は、体の仕組みを教えることではあるが、動物を傷つける行為を繰り返すことによって、科学や教育の名の下に動物を殺すことが倫理的に許される、人間の興味、関心が動物の生命より優先されるということも、知らぬ間に教えてしまう」と述べています。また、学術誌「Journal of Contemporary Ethnography」にも、「解剖を行わせることが、生徒たちに動物や自然に対して何も感じない冷淡な感覚を育ててしまう危険性がある。解剖のショックから、科学の道に進もうという意欲をそぐことにもなりかねない」という論文が掲載されています(*2)。
国際社会でも動物の犠牲のない教育が主流になってきている
欧米では、従来動物実験が必要不可欠と考えられていた大学の獣医学部や医学部においてさえ、「動物を殺す非人道的な教育を拒否する権利」を多くの学生たちが主張し始めた結果、動物実験を廃止して、動物を用いない方法(以下、代替法という。)を選択する学校が急増ました。実際、米国とカナダでは、獣医学校の約70%(32校中22校)が動物を犠牲にする実験・実習をしないで卒業できるようになっています(*3)、また医学校の100%(197校中197校)には生きた動物を用いるカリキュラムがありません(*4)。英国も同様で、たとえば名門ケンブリッジ大学の獣医学課程においても、生きた動物を犠牲にするカリキュラムはありません。
英国、ドイツ、イタリア、ベルギー、フランス、オランダ、デンマーク、スイスなどでは、初等中等教育における生体解剖を禁止する等の規制を設けているほどです。
解剖実習やその強制は、複数の法に反している
日本では、体罰が「学校教育法」第11条にて禁止されているのはもちろんのこと、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月15日閣議決定(策定)/平成23年4月1日閣議決定(変更))においては、「教職員自身が学校の場等において子どもの人権を侵害するような行為を行うことは断じてあってはならず、そのような行為が行われることのないよう厳しい指導・対応を行っていく」とされています。嫌がる生徒に解剖実習をさせるという行為は、人権侵害に他なりません。
また、教育基本法には、「生命を尊ぶ態度を養うこと」も教育の目標として規定されております。学習指導要領にも、たとえば小学5年生と6年生の「理科」の目標として「生命を尊重する態度を育てる」ことが、そして、道徳の内容として「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する」ことが示されています。その他、小学校から高校までの学習指導要領やその解説の随所に「生命の尊重」という言葉が出てきています。解剖実習はこれらの目標とは矛盾しており、真っ向から反する授業です。
さらに、後述のとおり、代替法があるにもかかわらず、わかりきっていることを、毎年のように繰り返し行うことは、「3Rの原則」(Replacement:動物を使用しない実験方法への代替 Reduction:実験動物数の削減 Refinement:実験方法の改良による実験動物の苦痛の軽減)に反しており、つまりは動物愛護法に抵触します。
薬剤による生徒の身体への危険もある
解剖実習において、実験動物の麻酔としてクロロホルムやジエチルエーテル、2-フェノキシエタノール等が用いられます。しかし、いずれの薬品も、吸入により、頭痛、吐き気、意識障害を引き起こしたり、中枢神経等に影響を及ぼす恐れのある危険な物質です。生徒たちの健康と安全面を考えたなら、これら薬品を使用するような授業は決して行うべきではないと考えます。
死体の解剖も生徒を傷つけ、生命倫理観を狂わせる
解剖実習では、生体以外にブタの眼球、心臓、脳などの臓器や、イカや魚の死体も解剖されています。臓器・死体であれば自ら殺すわけではなく、動物たちに痛み、苦しみ、恐怖を味わわせることにはならないので、解剖をすることで生徒たちが抱く罪の意識は生体解剖に比べて少ないと思われます。しかし、多感な子どもたちの心情はそう簡単にはいきません。
最近では、ブタをはじめ、さまざまな動物と暮らしている家庭もあります。テレビ番組でも、ブタがいかに人懐っこく、賢いかなどを紹介したりもしています。そんな背景において、可愛らしいブタの印象と、教師が解剖するよう指示してきた、くり抜かれた目玉の間で生徒たちはどう気持ちを整理したらよいのでしょうか。
子どもたちには、ブタの眼球はモノではなく、生きていたブタの大切な臓器と映るものです。「死体から取り出したものだから、殺す罪悪感がないので問題ないだろう」というのは、純粋さを失った大人の考え方であり、想像力豊かな子どもにとって、ブタの眼球を切り刻むこともまた、辛くおぞましい記憶となって心の傷として残ってしまうものです。だからこそ、JAVAには「眼球の解剖をやりたくない」という生徒たちの声が届いているのです。また、「その眼球は、いつも君たちが食べている豚肉を作るときにとった目玉だ」と、教師が突きつけることによって、「食べているものなんだから、感謝すれば何をしてもよい」という見方を子どもたちが持ってしまう危険性もあります。
「解剖は、さばいて食べるのと同じ」は、大人の固定観念でしかない
鮮魚店等で購入したイカや魚の解剖については、「さばいて食するのと、解剖するのとでは同じではないか?」「解剖したあとに食べれば、死体を粗末にしたことにならないのでは?」といった声を聞くことがあります。食用とするためにさばくことと、解剖後に食べるというのは、行為としては同じようでありますが、目的や状況はまったく異なります。食べようが食べまいが、「解剖することは食材の生き物をさばくことと同じで、感謝すれば許される」と生徒たちを諭そうとしても、生徒たちが命あった動物に対して行った行為に対して抱く罪悪感や不快感といった自然な感情を止めることはできません。
「食べることと同じ」「人間が生きるには動物の犠牲が不可欠」というのは、現実的にはそのとおりではありますが、それは大人の固定観念でしかありません。子どもたちに必要なのは、犠牲を正当化する考え方ではありません。子どもたちは、教師をはじめとした大人たちの、そのような考え方を受け入れようとしても、動物を切り刻む行為自体に不快感を持ち、そして、殺され、さらに体を切り刻まれようとしている目の前の弱き動物へ憐れみの感情を抱くわけです。それは、子どもに自然に沸き上がってくる思いやり、倫理観、道徳心であるだけでなく、多感な時期に育むべき最も重要な心情であると言えます。教育者ならば、大人の価値観や固定観念を押し付けるのではなく、「生き物の体を切り刻みたくない」といった他者を思いやる純粋な気持ちに深い理解を示し、褒め、さらに伸ばしていくように指導することが必要ではないでしょうか。それを「食べることと同じ」「感謝してやれば、解剖行為も許される」と、大人の価値観を押し付けて、生徒の憐れみや思いやりの純粋な心を砕こうとすれば、生徒たちは弱き動物を慈しむ気持ちに蓋をするようになり、殺すことや切り刻むことに無感覚になることが懸念されます。
死体や臓器の解剖について、ドイツの動物実験に反対する医師の団体Ärzte gegen Tierversuche e.V.の副会長であるDr. Corina Gerickeは、「私たちは勿論死体や臓器の解剖に反対する。学校とは動物への尊敬の念を抱くことを教える場所であり、決して道具として使用するべきではないことを教えなければならない」と述べています。
生徒のことを考えるなら、知識が身に付き、命を尊ぶ心も育む代替法での学習を
動物の体の仕組みや発生の過程などを学ぶ方法には、生体や死体を用いる以外にも、コンピュータシミュレーション、動画、精巧な3Dの模型など様々あります。そのような代替法を使用すれば、たとえば解剖の過程を何回でも繰り返しでき、また生徒一人一人が自分のペースで行うことができるなど、多くのメリットがあります。生き物を用いて解剖を行った生徒と代替法で学んだ生徒では、その知識に差はない、もしくは、代替法で学んだ生徒の方が優秀であったことが、数多くの研究で証明され、「The American Biology Teacher」(*5)や「Alternatives to Animal Experimentation」(*6)などに論文が発表されています。
教師・学校が動物を用いない方法を選択することで、「命は奪ってはいけない」「大切にしなければならないもの」ということを生徒たちは学びます。つまり、生徒たちに知識を身に付けさせるとともに、生命を尊重する態度も養わせたいならば、代替法を用いるべきなのです。
人間にとって、想像力は極めて大事なものです。特に成長期の子どもたちにはそれを養うよう指導していかなくてはなりません。多発する犯罪や学校内でのいじめは、まさに他者の痛みを感じようとしない自己中心的な感情から生まれるものです。 想像力があれば、他者の痛みを自分のものと感じることができるようになり、自分を大切にすると同時に相手に対しても思いやりの心を持つことができるようになるはずです。
学校教育に求められるのは、子どもたちがその想像力を自ら閉じ込め、動物の命やその遺体を大切に思う気持ちを絶たせることではありません。また、思いやりの心を閉ざさなければ参加できないような授業でもないのです。つまり、動物の命を奪ったり、その体を切り刻む解剖実習を子どもたちにさせてはならないのです。
- *1Jan Oakley (2013)『ANIMAL DISSECTION IN SCHOOLS: LIFE LESSONS, ALTERNATIVES AND HUMANE EDUCATION』 Animals and Society Institute
- *2Solot, D., Arluke, A. (1997). Learning the scientist’s role: Animal dissection in middle school. Journal of Contemporary Ethnography, 26(1), 28-54
- *3Humane Society Veterinary Medical Association
ウェブサイト「Comparison of Alternatives Offered by Veterinary Schools」 - *4Physicians Committee for Responsible Medicine
ウェブサイト「Ethics in Medical Student Training」 - *5Strauss, R.T., Kinzie, M.B. (1994). Student achievement and attitudes in a pilot study comparing an interactive videodisc simulation to conventional dissection. The American Biology Teacher, 56(7), 398-402
- *6Knight, A. (2007). The effectiveness of humane teaching methods in veterinary education. Alternatives to Animal Experimentation, 24(2), 91-109