茨城県畜産センター元職員の手記:跛行牛「フォルテ」


私が茨城県畜産センターに勤め始めて2週間ほどたった日、牛舎にいたフォルテという名前の乳牛の治療が行われました。フォルテは蹄を痛めて跛行していました。
治療は枠場という器具に牛の体を固定して行います。フォルテの痛めた右後ろ足の蹄を獣医師が診察し、蹄にテープが巻かれました。そのあとフォルテは様子をみるために、個別のペン(囲い)へ移動になりました。

フォルテが立ち上がれないほど酷い跛行になる前に、個別ペンに移動されたので、私はほっとしました。勤務初日に酷い跛行で立ち上がることができなくなった乳牛を見ていたからです。
勤務初日に見たその乳牛も、フォルテと同じように蹄を痛めていました。搾乳のために牛舎から搾乳室(牛の乳を搾る部屋)へ乳牛たちを移動させる時、他の乳牛が次々搾乳室へ移動した後も、その乳牛だけは床にうずくまったまま立つことができないでいました。
すると複数の職員がその乳牛を取り囲みました。そして思いきり力を入れて何度も足で蹴りました。尻尾を引っ張る職員もいれば、より強い痛みで動かそうというつもりなのか、痛めている足を蹴る職員もいました。勤め始めたばかりの私に「鼻を叩いて」と指示する職員もいました。私はその指示に従いませんでしたが、見た目には寄ってたかって袋叩きとしか言いようがない状況でした。その乳牛はもだえるように体を動かして何度も立とうと試みていましたが、結局立ち上がることができませんでした。最終的に重機で釣り上げられ、個別のペンに移動させられました。
初日にそのような乳牛を見ていたため、フォルテが同じような目に遭わなくて安堵しました。

個別ペンに運ばれたあとのフォルテは、朝夕の搾乳時に、痛む足を引きずって搾乳室に移動する必要もなくなりました。ここにいる間はポータブルの搾乳器をもってきて、個別ペンの中で搾乳されることになります。フォルテの負担が減ったので良かったと私は思いました。でも個別ペンに移動になったフォルテをみて暗い気持ちになりました。ペンの中でフォルテは糞と一緒に生活しているような状態だったからです。

個別ペンのフォルテ

個別ペンのフォルテ

ペンの糞出しは1日1回だけです。乳牛は1日に50kgもの糞をします。そのため狭いペンの中はすぐに糞でいっぱいになってしまいます。糞のそばで生活するため、フォルテの体にはいつも糞が付いており、個別ペンに移動になった翌日には治療した足に巻いたテープは糞まみれになり、テープが巻かれているのかどうかも分からなくなりました。
ペンには屋外に出ることのできる4~5m四方程度の小さい土の運動場がついていましたが、その運動場も汚れていました。運動場は糞出し自体がおこなわれていなかったため、あちこちが汚泥でどろどろしていました。
それでも個別ペンに移動になったその日、フォルテが屋外の運動場で休んでいる姿を見ました。搾乳期間中は、牛舎に閉じ込められっぱなしで、屋外に出ることも土の上を歩くこともできません。ですので、汚くても、久しぶりの外の土の上がフォルテは嬉しかったのだと思います。

個別ペンへの移動から12日たった日、フォルテは再び枠場に固定され、テープ交換されました。フォルテの蹄に巻かれていたテープは糞まみれになっており、テープの交換作業をする職員は「手に糞がついた」といってフォルテの体にそれを擦り付けていました。
フォルテの跛行は治ってはいませんでしたが、交換したこの日に、フォルテは元の牛舎に戻されました。以降は朝夕、搾乳のために搾乳室へ移動させられることになります。土の上を歩いたり屋外に出たりすることもできなくなります。

元の牛舎に戻ったフォルテは、いつも通路の端のほうで寝ていました。牛舎には牛が休息する牛床があるのですが、フォルテが牛床で寝る姿を見ることはありませんでした。牛床の状態が悪かったからだと思います。
茨城県畜産センターの牛床には砂が使用されていたのですが、砂は凸凹になった状態でカチカチに固まっていました。砂は砕いたり補充したりの適切な管理をすればよい牛床になるのですが、畜産センターではそういった管理を怠っていました。

通路で寝るフォルテ 左の一段高くなったところが牛床
通路で寝るフォルテ 奥の一段高くなったところが牛床
通路で寝るフォルテ 奥の一段高くなったところが牛床
糞まみれになったフォルテの治療足のテーピング
通路で寝るフォルテ

フォルテが横たわる通路はコンクリート敷きでその上に薄くオガコが撒いてあるだけでした。糞出しは1日1回なので、半日も立てば通路は糞だらけになります。搾乳の時、フォルテが全身糞まみれで足を引きずりながら搾乳室に入ってきたこともありました。
そんな汚い通路であっても、フォルテにとってはデコボコの硬い牛床よりマシだったのだろうと思います。乳牛は1日の約半分の時間を休息横臥して過ごすので、寝る場所の柔らかさはとても重要です。特に足を痛めている乳牛には柔らかい寝床が必要です。でもこの牛舎では、デコボコの固い寝床か、汚い通路かのどちらかしか寝る場所がありませんでした。

フォルテが牛舎に戻されてから17日後、フォルテは再度診察のために枠場に固定されました。糞で固まった右後ろの蹄のテープが外されると、フォルテの足から強い悪臭がしました。「臭い」とフォルテを診察する獣医師はいいましたが、17日間もテーピングしたまま糞だらけの場所ですごしてきたのだからそれも当然です。病原菌の塊を蹄に巻いて過ごしたのと変わりありません。これで治療になるのだろうかとも思いました。

この日以降もフォルテを見るといつも通路の端のほうで寝ていました。診察後しばらくは、前より跛行がマシになったように見えましたが、治ることはありませんでした。そして日がたつにつれフォルテの跛行はまた悪化していきました。

フォルテのテープが外されて1か月ほどたった日、フォルテは朝から辛そうで、いつもと同じように通路の端にいましたが、ずっと立ったままでした。横たわりたいけど横たわることができないという風に見えました。起立から横臥へ移行する動作をしようとしてはためらっていました。

起立から横臥になかなか移行できないで何度もためらっているフォルテ

跛行の牛は立った姿勢から横たわる姿勢へ移行する動作に痛みを伴います。いったん横たわると今度は立ち上がる動作にも痛みを伴います。
乳牛は1日の半分ほどを横たわって過ごしますが、体重が重いため長い間横臥姿勢でいることはできません。頻繁に起立してしびれを取る必要があります。そして再び横臥します。横臥→起立→横臥を繰り返します。これが足を痛めた跛行牛には大変な作業になります。そのため跛行の牛は、立ったまま過ごす時間が増えていき、だんだんと衰弱していくと言われています。

私はこの日の朝、フォルテの状態が悪いことを上司に訴えました。前回のフォルテの診察から1か月たち、跛行が悪化してもフォルテの診察が行われないので心配になったためです。上司は頷いてくれたものの、獣医師は忙しいからすぐには診察するのは難しいかもしれないとのことでした。
昼休みに見ると、フォルテは朝と同じ場所にいましたが、今度は横たわっていたので少しほっとしました。
昼前後になると牛舎の給餌機が動き出します。すると乳牛たちは餌場に向かいます。フォルテは餌場のほうへ歩いていく牛たちを見ながら、自分も行きたそうにしていました。横たわったまま餌場のほうへ頭を動かしていましたが、なかなか立ちあがる勇気をだせないようでした。何度も立ち上がろうと身を動かしてはためらうというのを繰り返し、ようやく痛めた右後ろ足を滑らしながら起き上がることができました。けれど起き上がった後も餌場の方角へ体の向きを変えるのにも簡単ではありません。フォルテは足を少しずつ踏みかえ踏みかえしながらようやく向きを変えましたが、今度は餌場に行くまでに段差を乗り越えなければなりません。

餌場へ行きたくても方角をなかなか変えられず、餌場へ向かう通路を見やるフォルテ
餌場へ向かう段差に前足を上げたまま立ち止まるフォルテ

フォルテは段差を上る手前でしばらく立ち止まり、思い切ったように両方の前足を段差の上にあげることができましたが、そこでまた立ち止まってしまいました。そして意を決したようにやっと後ろ足も段差の上にのせることができましたが、次は段差を降りなければならなりません。フォルテはそこでもやはり立ち止まり、降りられるだろうか?痛くないだろうか?と考えるようにあたりを見回してためらったあと、やっと降りて餌場にたどり着くことができました。
一つ一つの動作を見ているだけで、こちらの手に力が入り、フォルテの苦悩が伝わってきました。体重600~700kgもある乳牛が、その大きな体を支える足を1本でも痛めてしまうと生活すべてが損なわれるのです。

跛行は殴る蹴ると同じように虐待だと海外では言われています。その理由は、牛が跛行になるのは、放牧をしなかったり、硬い床の上で飼育したり、糞だらけの不衛生な場所で飼育したりと言った、飼育環境によるものだからです。放牧酪農では跛行はまれな疾患だとも聞きます。跛行になったのはフォルテのせいではなく、飼育者の責任なのです。

フォルテは次の日も同じ状態でした。朝は昨日と同じ通路の端に立ったままで、給餌の時間は餌場に行くのに長い時間がかかりました。

フォルテの診察が行われたのは、上司にフォルテのことを訴えてから5日目のことでした。この日、フォルテの診察は昼過ぎに行われました。

枠場に固定されたフォルテ

治療のために枠場に連れていかれたフォルテは、痛めた右後ろ足を枠場の台の上になかなかあげられませんでした。すると職員に金属製のスコップでその足をガンガンとなんども突かれました。フォルテは右後ろ足を何とか台の上にのせることができましたが、痛む右後ろ足を直立に伸ばして台の上に立ち続けることが難しく、またすぐに台からおろしてしまいました。すると今度は別の職員に右後ろ足を何度も蹴られ、スコップを持った職員にはまたガンガンと突かれました。
フォルテが枠場に固定されてから獣医師がくるまで15分かかりました。フォルテだけでなく、牛を診察のために枠場に固定してから獣医師が来るのには、いつも時間がかかりました。もっと長い時間、枠場に固定されたままで牛が待たされたこともあります。枠場には体だけでなく、頭もロープで固定されるため、牛は頭も動かせなくなります。細かいことですが、なぜ獣医師を呼んでから保定しないのだろうかといつも思いました。

フォルテはいつもおとなしく、これまで枠場に固定された時も抵抗したりしなかったのですが、この日、獣医師がやってきて治療が始まると、怯えたように固定されたまま身をよじり、枠場をガタガタさせて逃れようとしました。皆でフォルテを押さえましたが、職員の中にはフォルテの目を上から押さえつけたり、顔を叩いたりするものもいました。
枠場に固定されたフォルテの大きく見開いた左目からは涙がこぼれていました。

治療は蹄の傷口が床に触れないよう蹄に板をかませてテーピングして終わりました。作業が終わって枠場から出る時も、フォルテは職員に顔を叩かれて枠場から追い出されました。

治療後、夕方の搾乳の時もフォルテは叩かれました。茨城県畜産センターの搾乳室には竹棒が数本常備されています。フォルテがこの日搾乳室で自分の搾乳の番を待っていると、もう少し前に移動しろと、治療された右後ろ足を竹棒で叩かれました。フォルテが怯えて今度は前に進みすぎると、進みすぎだとまた竹棒で追いやられました。
搾乳されている間、フォルテは上を向いて舌を出してハアハアと荒い息を続けていました。搾乳中、フォルテは、痛めた右後ろ足を少し持ち上げてはおろす少し持ち上げてはおろすという動作を繰り返していました。跛行の牛にとっては、痛む蹄を地面につけて立ち続けることもしんどいからです。

搾乳室で、治療した足を竹で叩かれるフォルテ

搾乳が終わったあとは、餌場に行って餌を食べに行く牛が多いです。フォルテもこの日の搾乳が終わった後、餌を食べたくて餌場のほうへ向かいました。けれど、柵から頭を出して並んで餌を食べている牛たちの後ろにフォルテは立ち止まったままでいました。餌場の方向へ「曲がる」ことがなかなかできないからです。
フォルテは曲がればすぐに餌を食べられる場所にいましたが、動けないでいました。餌場のほうを何度も見やり、曲がろうとしてはためらうというのを繰り返していました。

右にいるのがフォルテ 他の牛は並んで餌を食べているが、餌場のほうに曲がることができない

治療の翌日もフォルテの状態は悪いままでした。昼の給餌の時間には、他の牛たちが餌場で餌を食べているのに、フォルテは通路の端のいつもの場所に横たわったまま、もう餌を食べに行こうとしませんでした。

給餌機が回っても餌を食べに行こうとしないフォルテ

夕方の搾乳時には、牛舎から搾乳室に向かう途中にある少しの段差を上ることができませんでした。フォルテが段差の前で立ち止まったままなかなか動けずにいると、職員に治療中の右後ろ足を蹴られました。昨日巻いたテープはもう糞尿でどろどろになっていました。フォルテはこの次の日も、この少しの段差を上ることができず、右後ろ足を蹴られていました。

人からどんな扱いを受けても、フォルテが私たちに対して牙をむくということはありませんでした。私が通路に横たわるフォルテの頭を掻くと、気持ちよさそうにして頭を預けてきました。家畜化された動物に共通なのは、肉や乳、卵などの「生産性が高い」というだけではなく、人に対して従順だということもあります。どんな扱いを受けてもフォルテはおとなしく、怯えて後ずさりすることはあってもこちらを攻撃してきませんでした。

足の治療をしてから2日後、フォルテは再び個別ペンに移動になりました。乾乳期に入ったためです。
乳牛には出産前に搾乳を中止する期間があります。フォルテはこの時妊娠中で、約3か月後が出産予定でした。分娩表を見ると、前回の出産した13か月後が次の出産ということになっていました。休む間もなく妊娠と出産を繰り返していることになります。
乳牛も人と同じで子供を産まないと乳が出ません。そのため産業動物である乳牛から、より効率よく乳を取ることができるよう、酪農産業では計画的な繁殖が行われています。今回のフォルテの妊娠はAI(人工授精)ではなくET(受精卵移植)で、フォルテは遺伝的につながりのない和牛の子を産むことになっていました。

個別ペンの運動場に出るフォルテ

個別ペンに移動されたフォルテは、すぐにペンに付属の小さい運動場に出ていきました。運動場は前に言った通り糞出しが行われていないため汚いのですが、しばらく誰も使っていなかったので草が生えていたりして、前より過ごしやすそうに見えました。
フォルテはその草の上を歩き、何か興味深そうに探索していました。汚くてもコンクリートではない柔らかい土の上でフォルテは一息ついているようにみえました。
牛にとって、硬いコンクリートの上で生活は虐待と言ってもいいほど辛いものです。跛行のフォルテにとっては硬い床の辛さはより一層のものだったろうと思います。

牛は本当に屋外の柔らかい土や草の上が大好きです。長い間牛舎のペンの中に閉じ込められていた牛を屋外の土の運動場に出した時、その牛はスキップするように狭い運動場の中を跳ねまわっていました。牛を引いて移動させる時に草の上を通ると、牛の足が弾むような足取りになるのも分かりました。牛は、本当は牛舎の中やコンクリートの上で飼う生き物ではないのだと思います。

フォルテの跛行はまだ良くなりません。フォルテに少しでも過ごしやすい環境で生活してほしくて、休憩時間になるとフォルテのペンや運動場の糞を取り除いてすごしました。

個別ペンに移動になった1週間後、フォルテはままた別の場所に移動されることになりました。ここでフォルテは、同じ乾乳中の牛であるシャディという乳牛と2頭でしばらく生活することになりました。
新しく移された場所は、前にフォルテが搾乳中にいた牛舎と同じ仕様で、通路はコンクリートの上に薄くオガコが撒いてあるだけ、牛床が凸凹のままカチカチに固まっているのも同じでした。ここに移動されてからも、フォルテは牛床ではなく、いつも通路に横たわっていました。
前にいた場所と違うのは屋外の運動場がついていることでしたが、運動場の地面も土ではなく硬いコンクリートで、フォルテが生活する場所のどこにも柔らかい床はありませんでした。
ただ、場所が広く頭数が2頭だけなので、糞量が減り、他の場所よりも清潔なことが救いでした。ハエもこれまでより少し減ったようでした。ハエの中でも特にサシバエは牛を刺すので、たかられた牛は苦しみます。跛行牛や弱った牛はあまり動けないので、特にハエにたかられやすくなります。

フォルテの治療した蹄にかませていた板はすでに外れ、ボロボロのテーピングが残骸のように巻き付いているだけでした。ここに移動してからフォルテの跛行はまたひどくなったように見えました。
乾乳中のため朝夕の搾乳のための移動はなくなりましたが、毎朝、通路の掃除のためにフォルテとシャディは運動場に追い出されます。牛舎から運動場へ行く通路には段差があるのですが、フォルテはこの段差を越えるのに長い時間がかかりました。ようやく運動場に出た後も、コンクリートの運動場の上で痛めた右後ろ足を何度も滑らせ、よろよろしていました。

フォルテはほとんど動こうとせず、通路の同じ場所にいつも横たわるようになりました。コンクリートの固い床の上にずっといるのでフォルテの膝は擦り剝けて被毛がなくなり皮膚がむき出しになっていました。

外を眺めるフォルテ
関節が擦り剝けたフォルテの足
段差をなかなか降りられないフォルテ

餌場へ行くまでの段差を超えるのにも、フォルテは前より時間がかかるようになりました。それだけでなく、直線に歩くのさえも酷く足を引きずるようになりました。前は方向転換や「曲がる」などではない直線移動ならここまで跛行はしていなかったのです。

餌場にたどり着くのが、一緒に過ごしているシャディよりもだいぶ遅くなるので、シャディに餌を食べられてフォルテはあまり餌を食べられないかもしれないと思い、フォルテが餌場にたどり着いたときに、餌を追加するようにしました。
ただ、シャディは餌を食べさせまいとしてフォルテを追いやるようなことはしませんでした。シャディはフォルテの1つ年上の乳牛で、フォルテの頭を舐めてあげていました。ひどい跛行のフォルテを慰めているようにも見えました。

フォルテがここに移動になって10日ほどして、私は再び上司に、フォルテを、あのままにしておいてよいのかと聞きました。その5日後、再びフォルテの治療が行われました。枠場にフォルテを固定し、蹄の下に再び板をかませテープが巻かれました。この日の作業では職員が蹴ったりするような扱いはなく、フォルテが枠場をガタガタ動かして怯えるようなこともありませんでした。
治療が終わったフォルテを牛舎に連れて帰る途中、フォルテは土の上で立ち止まり、興味深そうに地面の匂いをかぎ、草をむしゃむしゃ食べました。跛行はしていましたが、板の噛ませ方がよかったのか、前より少しは歩きやすそうな感じに見えてほっとしました。

ここでフォルテの記録は終わりです。この日以降、フォルテの跛行がどうなったのか分かりません。フォルテや他の牛への扱いに問題を感じることが多く、この日で仕事を辞めてしまったからです。

私は牛の個体識別番号で耳標検索して、フォルテが2023年9月13日に茨城県中央食肉公社へ出荷され、と畜されたことを知りました。私が茨城県畜産センターを辞めてから約1年2か月後のことです。

おそらく私が辞めた後も、フォルテの跛行は、簡単に跛行は治らなかっただろうと思います。固い床の上での飼育、糞尿だらけの環境では蹄病が治るのに時間がかかるだろうし、治ってもまた再発するだろうと思うからです。もしかしたら職員に蹴られ、足を引きずりながらと畜場へ運ばれたかもしれません。その姿を想像して、辞めずにフォルテのためにできることはあったのではないかと繰り返し考えることもあります。

フォルテは5歳と4カ月でと畜されました。生涯を茨城県畜産センターで過ごしました。
デコボコの固い寝床、跛行、そこに加わる乱暴な扱いはフォルテをどれだけ苦しめただろうと思います。

茨城県畜産センターは、なかなか移動できない跛行牛をスコップで突いたり蹴ったり、竹棒で叩いたりするのを、やめるべきだと思います。その代わりに跛行にならないような環境づくりに力を注いでほしいです。

私はフォルテが約3か月間、跛行と乱暴な扱いに、耐えているのを見てきました。茨城県畜産センターが、これからも牛をこのように扱うのならば、牛を飼い続けるべきではないと思います。

茨城県畜産センターでの牛の虐待問題の詳細とJAVAの取り組みについては、下記の特設ページをご覧ください。

通路の端に横たわって牛舎の外を見ているフォルテ
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